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きたむらせいぼう 北村西望
1884年長崎県に生まれる。京都市立美術工芸学校彫刻家に学ぶ。当時の同級に建畠大夢がいた。1907年同校を首席で卒業した北村は、建畠とともに東京美術学校彫刻科塑造部に再入学して白井雨山に師事した。当時より、北村の持ち味は勇壮な男性像に活かされて、繊細な感情表現を女性像に託することを得意とした建畠とは好対照であった。1915年第9回文展で「怒涛」が二等賞を受賞。1916年第10回文展で「晩鐘」が特選。1947年に日本芸術院会員となる。1955年、郷里の長崎市からの依頼で、高さ9メートルの大作「平和祈念像」を完成させた。1958年文化勲章を受章。1987年死去。本県で展覧された「将軍の孫」は、長男をモデルに制作した、彼の作風とは幾分趣の異なる愛らしい作品である。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
未来派とは?【 美術用語 】 20世紀初頭、イタリアを中心に興った芸術運動。1909年2月20日、詩人マリネッティがパリの日刊紙『フィガロ』紙上に最初の「未来派宣言」を発表し、10年3月8日ボッチョーニ、カルラ、ルッソロ、バルラ、セヴェリーニがトリノの劇場で観衆を前にイタリアで最初の未来派運動宣言を行なった。新時代はそれにふさわしい生活様式と表現を必要とするとし、いっさいの過去を精算して速度とダイナミックな力の渦巻く機械文明の感覚を力強く表現することを主張した。造型の観点からは、対象の物質性を破壊してキュビズムから得た同時代性の思想を画面に定着し、運動の表現に新たな道を開いた点が注目される。運動としては1915年頃までで終ったが、ダダをはじめ20世紀芸術の諸運動に与えた影響は少なくない。印刷物を通じた幅広い広報活動をおこない、大正10年代の日本の美術・文学にも多くの影響を与えた。 |
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