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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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たけうち ひさかず(きゅういち)

竹内久一

1857年東京浅草田町に生まれる。牙彫師堀内龍仙、川本洲楽の門下に学ぶ。1880年の第1回観古美術会において、奈良興福寺の古仏に感動する。1881年第2回内国勧業博覧会において牙彫を出品、褒状を受ける。このころ奈良に学びたい思いがつよく、二年余り正倉院御物をはじめとして、社寺の古美術を学ぶ機会を得る。1890年第3回内国勧業博覧会で木彫の神武天皇像で妙技二等賞を受賞。1893年シカゴ万国博覧会に木彫彩色の「伎芸天女像」を出品、好評を得る。竹内のこの「伎芸天女像」には、京都や奈良の古彫の修復や模刻を通じて、古きを温め、伝統を重んじつつも常に新しい表現への工夫を忘れずに精進した創作の姿勢がよくうかがえ、代表作といわれる。1906年帝室技芸員となる。1916年死去。従四位勲四等を受ける。竹内は近代木彫の草創期であった明治中期に高村光雲石川光明らとともに活躍した木彫の彫刻家である。最初牙彫を学んだが、初めて奈良を訪れた際に日本古来の木彫に魅せられて、木彫に進み、当時の木彫の復古運動に尽力した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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高村光雲とは?【 作家名 】

光雲は、明治、大正期を通じて日本の彫刻界の木彫における重鎭である。早くから、仏師高村東雲の弟子となった光雲は明治のはじめに多くの木彫家が牙彫に転じるなかで木彫の伝統を守りつつも、その新しいところを積極的に取り入れることに努めた。写実に徹し、木の性質を知り尽くした見事な技を持ち、山崎朝雲米原雲海平櫛田中など優れた門下生を輩出した。光太郎はその実子である。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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