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はしもと へいはち 橋本平八
1897年三重県伊勢市に生まれる。1915年郷里の彫刻家三宅正直に師事する。1919年上京。翌1920年より佐藤朝山の内弟子となる。1922年再興第9回院展に「猫」を出品、日本美術院研究会員となる。1924年には院友、27年同人となる。また同年再興第9回院展に、古代エジプト彫刻を思わせる「裸形の少年像」を出品する。木という素材そのものを生かそうという信念をもち、翌1928年には、満州開原神社に大獅子一対を納めたほか、観念的オブジェ作品ともいえる「石に就いて」を発表した。1930年第2回聖徳太子奉讃美術展に無鑑査出品となり、35年帝国美術院展(改組帝展)無鑑査となる。同年死去。仏教芸術を深く研究し、円空の作品から多大な影響を受け、斬新な手法で極めて精神性の高い作品を残した。1934年に制作された「弱法師」は、ざん言によって父に家を追われて盲目になった俊徳丸が、悔い改めた父と出会い、故郷に帰ってゆくという能に題材を求めた作品。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ルネサンスとは?【 美術用語 】 15〜16世紀のヨーロッパの美術史上の様式と時期区分。とくにイタリア美術史上でいう。「ルネサンス」という言葉は、もともと、ヴァザーリが著書『美術家列伝』(1550年初版)の中で初めて用いた美術の“復活”=イタリア語でリナシータに由来し、それが1840年頃にルネサンスとフランス語に訳され用いられている。ヴァザーリは、およそ13世紀後半以降のイタリアの美術家の中にローマ帝国とともに没落していた美術の復活を認め、時代区分としてルネサンスとしたが、これは同時に古代との間に中世の概念を設定したものであった。今日通説の画期としては、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋起工の1420年より1500年までを初期、1500年〜1520−30年を盛期としている。初期にはフィレンツェ、盛期にはローマが中心となっている。自然と古代とを柱とする人文主義的造形活動を特色とし、美術理論が追求され、また美術作品の世俗化も行われ、メディチ家などの地方君主による美術の流派が形成された時代である。 |
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