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はしもと へいはち 橋本平八
1897年三重県伊勢市に生まれる。1915年郷里の彫刻家三宅正直に師事する。1919年上京。翌1920年より佐藤朝山の内弟子となる。1922年再興第9回院展に「猫」を出品、日本美術院研究会員となる。1924年には院友、27年同人となる。また同年再興第9回院展に、古代エジプト彫刻を思わせる「裸形の少年像」を出品する。木という素材そのものを生かそうという信念をもち、翌1928年には、満州開原神社に大獅子一対を納めたほか、観念的オブジェ作品ともいえる「石に就いて」を発表した。1930年第2回聖徳太子奉讃美術展に無鑑査出品となり、35年帝国美術院展(改組帝展)無鑑査となる。同年死去。仏教芸術を深く研究し、円空の作品から多大な影響を受け、斬新な手法で極めて精神性の高い作品を残した。1934年に制作された「弱法師」は、ざん言によって父に家を追われて盲目になった俊徳丸が、悔い改めた父と出会い、故郷に帰ってゆくという能に題材を求めた作品。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
後期印象派とは?【 美術用語 】 1910年にイギリスの美術批評家ロジャー・フライによって組織され、ロンドンのグラフトン・ギャラリーで開催された「マネと後期印象派展」に由来する語で、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンの3人を指すものである。印象派や新印象派とは異なる大画家で、後世に多大な影響を及ぼした者という意味内容で、特定の美術運動を指すものではない。しかし、近年ではアメリカの美術史家ジョン・リウォルドが、新印象派やルドンを含めて、おもにアンデパンダン系統の画家たちを総括する用語としてこれを使用したりもしている。 |
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