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こくりつおんがくあかでみー ばれえこうえん ゆめ 国立音楽アカデミー、バレエ公演「夢」
「夢」は1890年6月9日にパリのオペラ座において、国立音楽アカデミーの演奏で、初演された。エドゥアール・ブローによる台本は、17世紀の日本に根差し、タケノという町で繰り広げられる恋の三角関係を主題としている。ヒロインのダイタは婚約者のタイコーがいながら、サクマ殿を誘惑したために、タイコーはサクマ殿の矢に当たって死ぬという結末を迎える。ダイタが自らの行いを恥じ、反省したところで物語は終わる。ポスターに描かれている大きな扇は実際に使われた大道具を元にしており、その巨大な扇が開閉する様はスペクタクルとして話題を呼んだ。チュチュと着物を合わせた和洋折衷の衣装もエキゾチックで人気があった。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
レジェとは?【 作家名 】 1881年フランスに生まれる。1955年没する。1897年から98年にかけてフランスのカンで建築を学び、1900年から02年まで建築の製図工としてパリで働く。1903年から装飾美術学校とアカデミー・ジュリアンで学び、エコール・デ・ボザールにも出入りする。印象派、セザンヌとその興味の対象を変えながら、1910年からはキュビスムや未来派に刺激される。キュビスムのグループに加わり、1913年にはアメリカで行われたアーモリー・ショウに作品が展示される。第一次世界大戦中1914年から17年、従軍。そのときに見た、日光の下でまぶしく光る銃や剥き出しになった金属が放つ魔法のような輝きに強い印象を受ける。この視覚的な体験を基に、除隊後はそのような機械のイメージを作品に取り入れるようになる。また1920年代には人体にも興味をひかれ、機械と人体をモチーフにして制作。これは抽象につながる近代的な表現であったが、その源はフランスの古典主義におけるバランスのとれた構成にあると言われる。1924年には映画にも取り組み〈バレエ・メカニック〉を発表する。1940年から45年にかけてアメリカに亡命し、戦後パリに戻った。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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