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きぬたに こうじ 絹谷幸二
1943年奈良県に生まれる。東京芸術大学美術学部油画科、同大学院に学ぶ。1966年第34回独立美術協会展で独立賞を受賞。翌年も連続して独立賞を受賞し、25歳の若さで独立美術協会の会員となるなど早くから注目を集める。大学院在学中から取り組んでいたアフレスコ古典画法を、1971年から73年までのイタリア留学でさらに研究し、ヴェネチア市立美術館で個展を開催するなどイタリア、ユーゴスラビアでその成果を発表。壁画への造詣から、1973年高松塚古墳保存対策委員。1974年第17回安井賞展で安井賞を最年少受賞。各種の展覧会に出品する他、1984年群馬県立近代美術館の「現代絵画の動向」展や1986年富山県立近代美術館の「現代日本美術の動勢」展などに出品するなど現代の具象絵画を代表する作家の一人と目されている。国立児童館・こどもの城の壁画制作や日本画の制作など多方面での活躍も知られ、1987年第19回日本芸術大賞を受賞。同年から東京芸術大学で後進の指導にあたっている。
カテゴリー:作家
ガボとは?【 作家名 】 1890年、ロシア、ブリアンスクに生まれる。本名ナウム・ネーミャ・ペヴスナー。アントワーヌ・ペヴスナーは兄。1910年、ミュンヘン大学の医学生となるが、12年に工学に転向する。また、ヴェルフリンの美術史の講義を聴く。1913年から14年にかけて、パリにいる兄ペヴスナーを訪ね、アーチペンコ、グレーズなどキュビストと知り合う。1914年頃から制作を始めるが、同年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツとロシアが敵国となったため、ミュンヘンからコペンハーゲンに移り、その後オスロに移り、大戦中は兄とそこで過ごす。この時期に、兄を通じてロシアの構成主義を知り、キュビスム風の具象的な作品から、幾何学的な構成へと変化する。1917年、兄と共にロシア革命後のソヴィエトに戻り、モスクワでタトリン、マレヴィッチ、カンディンスキーらと交流するが、しだいにタトリンらの有用性を重視した芸術観との間の意見の相違を見る。1920年ペヴスナーと「リアリズム宣言」を出す。1923年にはベルリンに移り、ナチスによるアトリエ襲撃のあった32年までそこで住み、バウハウス関係者らと交流する。1946年、アメリカに渡り、制作を続けた。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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