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きぬたに こうじ 絹谷幸二
1943年奈良県に生まれる。東京芸術大学美術学部油画科、同大学院に学ぶ。1966年第34回独立美術協会展で独立賞を受賞。翌年も連続して独立賞を受賞し、25歳の若さで独立美術協会の会員となるなど早くから注目を集める。大学院在学中から取り組んでいたアフレスコ古典画法を、1971年から73年までのイタリア留学でさらに研究し、ヴェネチア市立美術館で個展を開催するなどイタリア、ユーゴスラビアでその成果を発表。壁画への造詣から、1973年高松塚古墳保存対策委員。1974年第17回安井賞展で安井賞を最年少受賞。各種の展覧会に出品する他、1984年群馬県立近代美術館の「現代絵画の動向」展や1986年富山県立近代美術館の「現代日本美術の動勢」展などに出品するなど現代の具象絵画を代表する作家の一人と目されている。国立児童館・こどもの城の壁画制作や日本画の制作など多方面での活躍も知られ、1987年第19回日本芸術大賞を受賞。同年から東京芸術大学で後進の指導にあたっている。
カテゴリー:作家
木村立嶽とは?【 作家名 】 越中国富山(現富山市)に生まれる。幼名は専之助。前田藩の絵師に学んだ後、江戸に出て、木挽町狩野家の狩野栄信、養信、雅信に師事。雅経の号を狩野家から与えられ、万延年間の江戸城本丸御殿再建では、雅信のもとで障壁画などの制作にたずさわった。明治維新後は、御用絵師の身分をなくし生活に困窮。陶器画や漆器の下絵を描く。明治15年(1882)第一回内国絵画共進会で褒状を得、翌年フランスにおける第一回パリ日本美術縦覧会では大賞を受賞。明治17年(1884)の第二回内国絵画共進会でも褒状を受けるなど受賞を重ねた。また、鑑画会では、フェノロサの理論を試みた作品を発表している。 |
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