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ろいふらーのためのぽすたー ロイ・フラーのためのポスター
この作品は、1900年のパリの万国博覧会の際にオラーツィが舞踏をテーマにデザインした数点のポスターの中の1点である。ロイ・フラーは世紀末のパリのキャバレー・シーンで最も活躍したダンサーで、彼女のダイナミックな動きは、ロートレック等、多くの画家にインスピレーションを与え、作品の主題となった。オラーツィは装飾的デザインに長けていたので、ロートレックと違い、フラーの動きそのものを描くのでなく、波のような線とその上に浮遊する装飾モティーフによって、フラーのダンスを表現した。葵の紋や他の植物から抽出されたモティーフは、日本の着物などから直接引用された可能性が強い。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
青騎士とは?【 美術用語 】 1911年ドイツで革新的な目的を持つ芸術家たちがつくった緩やかな組織のグループにつけられた名称。グループの起こりは、1911年、カンディンスキーが、「新芸術家協会」の第3回展に出品を拒否されたことから、フランツ・マルクらと、ミュンヘンのタンホイザー画廊で対抗展を組織し、参加したグループを彼の小作品「青い騎士」にちなんで「青騎士(ブラウエ・ライター)」と命名した。参加者にはマッケ、クレーなどがいた。第2回展は1912年にミュンヘンで、版画を中心に開かれたがこれにはブリュッケのメンバーも参加し、また国際美術展の先駆ともいうべき性格のものであった。1914年の第一次大戦の勃発による解散した。グループには統合するような様式、教義はみられないが、内面的意欲が多様に形づくる形態の差異を示すことが共通の精神的基盤といえる。また、グループは同名の機関紙を発行したが、ここではヨーロッパの前衛芸術家の作品の他に、民芸品や児童画などの作品も評価し、現代的芸術観の礎石となった。 |
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