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ねぶくろ 寝袋
イタリア製。デザイン:テリー・ピコラとマリオン・デ・ロンド、製造:T.P.ロンド社。アメリカ人のテリー・ピコラと彼女のオランダ人パートナー、マリオン・デ・ロンドの2人のデザイナーは、市場で顧みられていないと考えた子供用製品の新コレクション、プラムケーキ・キッズを創設した。寝袋は車で移動するライフスタイルでの多目的使用アイテムである。技術的に細部にわたる厳密な配慮をもって、美的配慮は最小限に抑えてデザインされている。この小さな袋は、赤ん坊をバギーに入れて暖かく運ぶことができるようにジッパーで開閉でき、旅行のときには便利なように小さなバッグに折りたたむことができ、開くと赤ん坊が遊ぶための柔らかな敷物になる。ヴェルクロで取り付けられた輪型のおしゃぶりが付いている。(「キッズ・サイズ・デザイン展」図録)
カテゴリー:作品
ホフマンとは?【 作家名 】 1870年、モラヴィアのブルトニッツェで生まれる。 オーストリアの建築家。師オットー・ヴァグナーの合理主義的な造形原理を長く継承したが、ホフマン自身は、禁欲的なロースのスタイルとは対照的な優雅さや繊細さを好む傾向があった。手工芸に関心を示し、1899年以降、ウィーン工芸学校で教鞭をとり、またウィーン工房の創立者の一人に名を連ねた(1903)。1897年にはオルブリヒらと「ウィーン・ゼツェッション」を組織。この頃にはマッキントッシュらのグラスゴー派から影響を受け、またアール・ヌーヴォーの造形原理をやや遅れてオーストリアに導入するのに努力した。1905年にゼツェッションが分裂したときにはクリムトのグループに加わった。代表作は、陸屋根の厳格な形態を見せるプルケルスドルフ・サナトリウム(1903)、ブリュッセルのストックレー邸(1905)。1914年にはドイツ工作連盟のケルン展にオースリトア館を出展、戦後の1920年には、ウィーン市建築官となる。ル・コルビュジエやバウハウスの新様式が力を得はじめるにつれ、ホフマンの個性的な作品はやや時代遅れとみなされるにいたり、彼自身も新傾向の純粋主義的な禁欲的なスタイルに歩調を合わせた。1956年、ウィーンで歿。 |
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