![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ねぶくろ 寝袋
イタリア製。デザイン:テリー・ピコラとマリオン・デ・ロンド、製造:T.P.ロンド社。アメリカ人のテリー・ピコラと彼女のオランダ人パートナー、マリオン・デ・ロンドの2人のデザイナーは、市場で顧みられていないと考えた子供用製品の新コレクション、プラムケーキ・キッズを創設した。寝袋は車で移動するライフスタイルでの多目的使用アイテムである。技術的に細部にわたる厳密な配慮をもって、美的配慮は最小限に抑えてデザインされている。この小さな袋は、赤ん坊をバギーに入れて暖かく運ぶことができるようにジッパーで開閉でき、旅行のときには便利なように小さなバッグに折りたたむことができ、開くと赤ん坊が遊ぶための柔らかな敷物になる。ヴェルクロで取り付けられた輪型のおしゃぶりが付いている。(「キッズ・サイズ・デザイン展」図録)
カテゴリー:作品
マティスとは?【 作家名 】 1869年フランスに生まれる。1954年没する。はじめは法律を学ぶが、まもなく画家を志す。22歳からパリでギュスターヴ・モローの指導を受け始める。この頃、ルオー、マルケ、ピサロらと知り合う。また、ルーヴル美術館で名作の模写を多数行う。1903年のサロン・ドトンヌ設立に参加する。1905年の同展では、ドラン、ヴラマンク、ルオーらと共に、その大胆な色彩と激しい筆致が注目を集め、半ば嘲笑を込めて「フォーヴ」と呼ばれた。1909年にロシアのシチューキン家のために大作〈ダンス〉を、また32年にはアメリカのバーンズ財団のために壁画〈ダンス〉を制作するなど、各地で活躍する。また1921年からは、パリとニースを往復する生活を送る。1940年のパリ陥落の後、ブラジルの渡航を試みるものの南仏に留まる。戦後も、切り絵、挿絵本、タピスリーなど幅広い活動を続け、特に南仏ヴァンスの礼拝堂の装飾は、彼の才能の集大成と言われる。20世紀美術においてピカソと匹敵する成果を残した一人といえるだろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||