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べびーちぇあno.3 ベビーチェアno.3
オーストリア製。デザインと製造:ゲブリューダー・トーネット社。食事トレイは取り外しできる。トーネットはこの作品を3つの異なったバージョンで発表した。no.2は車輪が付いていて、車付き子供用椅子と呼ばれていた。子供用家具を様々なバージョンで数多く設計を試みた後、トーネットは最終的に成人の標準寸法の70パーセントをそれに割り当てることにした。つまり、座の高さ32cm、肘掛け高さ63cm、座の直径32cmの寸法である。価格は成人用の66パーセントであった。子供用は大成功で、結果、企業生産量の3パーセントを占めるようになった。トーネットは子供用家具の大量生産に初めて成功した革新的製造業者であった。(「キッズ・サイズ・デザイン展」図録)
カテゴリー:作品
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
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