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「ライバッハ(リュブリャナ)のために」



ライヒレ



ライ麦おばさん



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ラウルドゥケイザー



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楽此幽居図



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ラパン・アジル



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なかはら ていじろう

中原悌二郎

1888年北海道釧路市に生まれる。1905年画家を志し、上京する。1906年白馬会研究所に入門、中村彝(つね)と知り合う。1907年太平洋画会研究所に移る。1908年欧米から帰国した荻原守衛を知り、影響を受ける。1910年彫刻へ転向し、第4回文展に「老人の頭像」が入選、16年再興第3回院展に「石井鶴三像」を出品し、樗牛賞を受賞、同年日本美術院院友となる。1918年日本美術院同人に。1919年再興第5回院展に「若きカフカス人」を出品。1921年東京にて死去。悌二郎は、気に入らない作品を壊してしまうことが度々あったそうで、残されている作品は数少ない。その中でも「老人の頭像」と「若きカフカス人」は、細部描写にこだわらない、面による構成に主眼をおいた彼の作風をよく伝える代表作となっている。「若きカフカス人」のモデルは、革命赤軍に召集されていたところを脱走し、ハルピンを放浪中に鶴田吾郎と知り合ったのが縁で、日本に亡命した白系ロシア人ニンツァである。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

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