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こどもようのりもの びっぐざふぇいす 子供用乗り物「ビッグ・ザ・フェイス」
ドイツ製。デザイン:フィリップ・スタルク、製造:ビッグ玩具製造会社。「ビッグ・ザ・フェイス」は使用後立ててコンパクトに片付けておける三輪車で、そのときには装飾的なオブジェとなる。昔からある三輪車と共通するところは少ない。この未来的な乗り物の車輪のひとつはボール状の車で置き換えられており、それが、明るい黄色のシリンダー状車体の口ひげのある顔の、帽子のようになっている。(「キッズ・サイズ・デザイン展」図録)
カテゴリー:作品
川端玉章とは?【 作家名 】 京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一、五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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