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こどもせおいかご 子供背負いかご
インドネシア製。裂いたロタング(籐の一種)でつくられた半円形のスクリーンは、小さな半円形の板の上に黒と黄色のパターンに編まれてある。強い木片は樹皮で包まれ、二本の紐で母親の身体に合うようになっている。この種の子供背負いかごはリュックサックのように背中に背負われ今日でもボルネオの僻地で見ることができる。(「キッズ・サイズ・デザイン展」図録)
カテゴリー:作品
リストとは?【 作家名 】 1885年から1889年、ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事、その後、ミュンヒェン美術アカデミーでルートヴィッヒ・フォン・レフツおよびパウル・ヘッカーに師事。さらに、パリで学ぶ。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。1898年、分離派の展覧会およびカタログ制作の参加。「ヴェル・サクルム」に多数の作品を発表、寄稿。同誌の編集責任者も務める。クリムトグループと共に分離派を脱退した後、1908年から1909年、クンストシャウに参加。 |
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