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たけい なおや 武井直也
1893年長野県岡谷市に生まれる。1914年戸張孤雁に師事する。1915年東京美術学校彫刻科入学、18年第5回院展に「E先生」が初入選する。1920年同校を卒業。1923年日本美術院研究会員となる。1924年渡仏し、ブールデルに師事し、27年に帰国。同年再興第14回院展に滞仏中の作品を出品、1932年には日本美術院同人となる。1936年日本美術院を脱退し、日本彫刻家協会の創立に参加する。1940年死去。武井は滞仏中にギリシャ彫刻の研究にも励んだといわれ、たとえば「婦人頭部」のアルカイック・スマイルをたたえた明澄な表情は、その成果を示している。師ブールデルからは、簡明で堅固な構築性のなかにロマンを込めた作風を学び、帰国後はおおらかさが加味された独自な表現を展開し、温和な女性像を中心に数多くの作品を残している。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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