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かねこ くへいじ 金子九平次
1895年東京芝区に生まれる。岡山県にある金光中学校を卒業する。父である金子吉蔵あるいは長谷川栄作に彫刻の手ほどきをうけた。1921年第3回帝展で「春愁」が入選し、翌年の渡欧後はブールデルに師事する。「C嬢の像」はブールデルに師事した頃の作品で、師の作風をよく学び、取り込もうとしている。西欧のアルカイック趣味をよくこなし、総合的な構築を常に意識しようとする姿勢がよくうかがえる。骨組み、面、量塊の意味を模索している金子の滞欧期の佳作である。1926年帰国し、国画創作協会会員となる。1928年国画創作協会第2部を国画会と改称、中心となり活躍する。1937年新古典美術協会を主宰。1968年死去。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
コブラとは?【 美術用語 】 1948年にアムステルダムで結成された芸術家グループ。カレル・アペル,アスガーヨルン,コルネイユらが実験美術家と称して集まったものである。コブラの名称は、結集した作家の生国が、デンマーク、ベルギー、オランダの三国にわたっていたことから、それぞれの首都のコペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をとってコブラと称するようになった。激しい筆触、鮮やかな色彩による表現主義的な作風が共通し、また、精神障害者や子供による作品に表現の可能性を見い出し、アンフォルメルの運動とも深くかかわりながら、ヨーロッパでの第二次大戦後の新しい絵画運動の代表のひとつとなった。しかし、グループとしての活動は短命で、3回のグループ展を開催し、3年後の1951年に解散している。 |
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