ゲオルク・ハイム著。ドイツ
表現主義のグループ「
ブリュッケ」創始者の一人
キルヒナーは早くから
木版画に取り組み、アフリカや南洋の彫刻、中世の
木版画や日本の浮世絵などに関心を向けた。夭折の詩人ハイムの詩集を表紙から挿絵まで
キルヒナーが手がけたのがこの作品。第一次世界大戦後に滞在していた
スイスで見た木彫りの農民彫刻に影響されたといわれる。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)

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大下藤次郎とは?【 作家名 】

東京都に生まれる。1891年中丸精十郎の画塾に入門し、眞野紀太郎、
三宅克己らと知り合う。1893年明治美術会の会員となる。1898年オーストラリアに旅行。1901年太平洋画会の創設に参加。翌年渡米してボストンで
水彩画展を開催し、1905年、
水彩画の研究団体春鳥会をおこし、機関誌として『みづゑ』を創刊。翌年、
丸山晩霞、眞野紀太郎らとともに
水彩画講習所を開設。1907年、講習所を移転新築して新たに日本
水彩画会研究所を設立。太平洋画会、
文展に
水彩画を出品し、
水彩画の普及につとめる。(「みづゑのあけぼの
三宅克己を中心として」図録 1991年)

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