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しられざるけっさく 知られざる傑作
オノレ・ド・バルザック著。老画家フレンホーフェルは、理想の女性を求め、想像上のモデルを見つめて、描いては消し、塗り重ねる。狂気の果てに生まれた等身大の裸婦像は、常軌を逸した意味をなさない色と線の固まりであった。抽象絵画の誕生、あるいは絵画が自律するための苦しみの寓話。この物語に、ピカソは「画家とモデル」のモチーフを発見した。物語の内容に触発されて生涯のテーマを獲得する。本と美術の幸福な出会い。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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