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ふらんこのゆめとうそ フランコの夢と嘘
パブロ・ピカソ著。一九三六年、スペイン人民戦線政府に対して、フランコ将軍率いる軍部の反乱が起こる。困窮する人民政府を金銭的に支援するため、年が明けるとピカソはこの版画を制作した。当初は各九つある区画を裁断して別々に販売する予定であったが、結局裁断せず、ピカソの激しい怒りの詩を添えて出版される。太陽に挑む独裁者。内蔵を引き出された馬、叫び逃げまどう女や子供。その年、三七年四月の古都ゲルニカ爆撃を予告するような絵物語。やむにやまれぬメッセージを伝播する、薄っぺらな紙に描かれた裁断されない絵本。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
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パブロ・ピカソとは?【 作家名 】 1881年スペインに生まれる。1973年没する。幼少時から卓越したデッサン力を示し、ダ・グァルダとバルセロナの美術学校でアカデミックな技法を学ぶ。1900年から04年までパリとバルセロナの間を往復し、04年からはパリの長屋、洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住んでエコール・ド・パリの作家達と交わる。1902年頃から抒情的な青の時代に入り、続いてバラ色の時代を経て、07年に〈アヴィニヨンの娘たち〉を制作、ブラックとも出会う。キュビスムの幕開きであった。1918年頃から新古典主義的傾向に変わり、25年頃からはシュルレアリスムをとり入れる。1933年には雑誌『ミノトール』創刊に参加、37年にはスペインのフランコ政権に抗議して〈ゲルニカ〉を制作した。戦後は〈画家とモデル〉のシリーズや過去の巨匠に題材をとった作品も作り、また日記のように毎日大量の版画を制作した。彫刻、セラミック、舞台装飾、ポスターなどの分野にも手をひろげた。20世紀美術の最高峰の1人といえるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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