![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
みらいはのじゆうたいのことば 未来派の自由態の言葉
フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ著。これもマリネッティの本。自らの詩論とそれを実践した詩が収録されている。織り込まれた四枚のシートには彼の詩が、大きさも書体も様々な活字で、縦、横、斜め、と大胆に組まれている。まさに「自由態の言葉」。スピードと機械、そして戦争までも賛美し、古いものをぶち壊して、過激に主張を宣言しつづけたイタリア未来派。その考えと表現を伝えるために選ばれたメディアが本であった。豪華な画集ではないし、価値のある「芸術作品」としての版画なんて載っていない。安直な製本で、出版だって自分で作った会社から出している。そのページは一九一八年にアポリネールが試みたカリグラムや、一九五〇年代以降のコンクリート・ポエトリー(具体詩)などの視覚的な詩の実験を連想させもする。が、それよりも、文字組み、タイポグラフィだけなのに、イタリア語が分からない人たちにも未来派の主張を伝えてしまう。そのあくの強さに、うならされる。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||