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みらいはのじゆうたいのことば ちぇこごほんやくばん 未来派の自由態の言葉(チェコ語翻訳版)
フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ著、J.マチャク訳、ジョセフ・チャペック装丁。マリネッティ〈未来派の自由態の言葉〉のチェコ語版。未来派の広がりを物語る。装丁はチェコが産んだ多才な画家、装丁家ヨゼフ・チャペック。親しみやすい挿絵と同時に、アヴァンギャルド運動にも関わり、チェコのキュビスムを担った一人でもある。本家イタリア未来派ほどのインパクトはないが、垢抜けたエレガントさを感じさせる表紙ではないか。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
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