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しんれふ 1-12ごう 1927ねん 1-12ごう 1928ねん 新レフ 1-12号(1927年)、1-12号(1928年) 作家名:ウラジミール・マヤコフスキー ウラジミール・マヤコフスキー編 アレクサンドル・ロドチェンコ装丁。「レフ」はモスクワで発行された芸術左翼戦線の雑誌。一九一七年のロシアでの十月革命以後、アーティストたちは、革命との間で緊張をはらみながらも、新しく到来する世界に期待する。そこで発行された「レフ」誌は、既成概念を打ち壊してきたアヴァンギャルド運動の延長上でユートピアを目指した。一九二三年の二号、三号は、いずれもロドチェンコのモンタージュ写真が表紙を飾る。様々な写真を一枚に編集することによって生まれる斬新な写真は、新国家建設への夢を視覚化したイメージであったに違いない。一九二五年、パリの装飾博覧会では、ロシア・アヴァンギャルドが大きな注目を集めた。また、リシツキーの〈声のために〉が作られたのも、ちょうどこんな熱気あふれる時期である。しかし、一九二四年のレーニンの死、続くスターリンの独裁と徐々に時代は変わる。「レフ」に集まったアヴァンギャルドたちのモダンアートはブルジョア的と見なされ、リアリズムを奨励する文化統制の中で排斥されていく。「レフ」は一九二五年に廃刊され、一九二七年に「新レフ」誌として衣替えするが、翌年には廃刊。雑誌というメディアは、芸術活動の拠点となり、表現のメディアともなる。そして、すぐれた情報伝達性の故に、武器となり、同時に攻撃対象ともなる。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)制作年:1927-28年刊 技 法:雑誌
カテゴリー:作品
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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