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ばうはうす だい2かん1ごう 2-3がっぺいごう 4ごう バウハウス 第2巻1号、2/3合併号、4号
ヴァルター・グロピウス、ラースロー・モホリ・ナギ共編。機関誌。一九一九年に造形教育機関として設立され、モダン・デザインを牽引したバウハウス。その機関紙である。グロピウス、モホリ=ナギを始め,カンディンスキー、クレーなどの教師たち、外部からはガボやコルビュジェらの寄稿を得ている。雑誌の作り自体は、ヘルベルト・バイヤーの考案による、太字が特徴的なバウハウスのロゴマークが印象的であるほかは、オーソドックスで簡素な印刷物である。バウハウスの理念をその都度確認し、関係者に対する求心力を保つ上で、機関紙としての重要な使命を担っていたのであろう。バウハウス叢書と並んで、デッサウ時代のバウハウスにおける印刷工房が残した成果である。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
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アンデパンダン展とは?【 美術用語 】 1884年の春、スーラ、シニャック、ルドン、ギヨーマンなどを含むフランスの反アカデミズムの画家やサロン落選画家たちが独立芸術家集団を組織、同年夏に改組し独立芸術家協会(Societes des Artistes Independants)を結成し、年末に第1回展を開催。その目的は、所定の会費を払えば誰でも出品できる鑑査機構なしの展覧会を組織することにあった。アンリ・ルソー、ゴッホ、ロートレック、セザンヌ、マティス等もしばしば出品するなど、印象派より若い世代の画家の多くがこの展覧会と関連し、20世紀の初めまで重要な美術動向の舞台となった。我が国においても、第2次大戦前に童心芸術社と二科展主催のものがあったが、1946年に日本美術会が設立され、民主的立場に立った日本アンデパンダン展を開催。これとは別に1949年、読売新聞社主催で同名の展覧会が開始され、しばらくは並例して進んだが読売アンデパンダンと改め、63年ダダ化が進むなかで中止に至る。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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