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あらゆるしれんにたえて あらゆる試練に耐えて
ポール・エリュアール著。一九五二年に没した前衛詩人エリュアールの詩とミロの版画による詩画集。ここでミロは木版を用いた。その版木を伴った豪華な限定本である。木版らしく素朴でいてどこか後味が残るような色の付き方が、鮮やかな色彩に味わいを添えている。簡潔な形態で表現された画面は、エリュアールの詩の内容に沿ったものではない。それはシュールな詩句とともに、読者の想像力を刺激する。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
小川芋銭とは?【 作家名 】 1868年江戸赤坂溜池の牛久藩邸に、留守居役小川伝右衛門の長男として生まれる。幼名不動太郎、のち茂吉と改める。はじめ油彩画を本多錦吉郎に学ぶ。1888年(明治21)「朝野新聞」の客員となり、同紙に帝国議会開設のスケッチや漫画を発表した。この時から芋銭の号を用いはじめる。1893年廃藩置県で牛久に帰農していた一家のもとに帰り、農業に従事しながら制作を行った。「茨城日報」「いはらき新聞」に投稿、1911年小杉未醒と漫画展を開催した。1915年(大正4)平福百穂、川端龍子、森田恒友らと日本画研究団体、珊湖会を結成、1917年には日本美術院の同人となる。以後院展を中心に、沼畔や田園に題材を取った作品を発表した。明治後期に幸徳秋水などと交流し、平民主義の影響を受ける一方、老荘の思想に通じ、書や俳諧もよくした。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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