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きはら やすゆき 木原康行
1932年北海道に生まれる。1954年武蔵野美術学校西洋画科を卒業。1966年から国内でグループ展に参加した後、1970年からパリのアトリエ17(1927年、版画家ヘイターによって開かれた版画工房。ここで多くの芸術家が銅版画制作を学んでいる。)で銅版画を学んだ。翌年ニューヨークの国際ミニアチュール版画展などに出品を始め、1972年には、ロンドンのブラッドフォード国際版画ビエンナーレ展、現代フランス版画展等に出品。以後も国際的な展覧会に出品を重ね活躍している。日本でも1980年、栃木県立美術館の「日本の版画」展に出品する。彼は腐蝕によらない、ビュラン(銅版画用の彫刻刀)の直彫りの線を自在に操り、精緻な線の構成によって、緊張感に満ちた凝縮された画面を生み出す。ビュラン版画の代表的な作家の一人。
カテゴリー:作家
キスリングとは?【 作家名 】 ポーランド、クラクフに生まれる。同地の美術アカデミーで学んだ後、1910年パリに出てモンマルトルに住み、エコール・ド・パリの代表的作家となる。モディリアニ、シャガール、スーチン、ピカソ、ブラックや、詩人マックス・ジャコブらと親しく交わる。第一次世界大戦では、外人部隊に志願するが、重傷を負い、兵役を解かれてスペインで療養する。1916年フランス国籍を得る。キュビスムからも影響を受けるが、ドランからの影響が最も大きい。第二次世界大戦の際アメリカに亡命するが1946年フランスに戻る。肖像や裸婦、静物(特に花)などを多く描いたが、特に異国的情緒の漂う裸婦が有名である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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