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きはら やすゆき 木原康行
1932年北海道に生まれる。1954年武蔵野美術学校西洋画科を卒業。1966年から国内でグループ展に参加した後、1970年からパリのアトリエ17(1927年、版画家ヘイターによって開かれた版画工房。ここで多くの芸術家が銅版画制作を学んでいる。)で銅版画を学んだ。翌年ニューヨークの国際ミニアチュール版画展などに出品を始め、1972年には、ロンドンのブラッドフォード国際版画ビエンナーレ展、現代フランス版画展等に出品。以後も国際的な展覧会に出品を重ね活躍している。日本でも1980年、栃木県立美術館の「日本の版画」展に出品する。彼は腐蝕によらない、ビュラン(銅版画用の彫刻刀)の直彫りの線を自在に操り、精緻な線の構成によって、緊張感に満ちた凝縮された画面を生み出す。ビュラン版画の代表的な作家の一人。
カテゴリー:作家
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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