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きはら やすゆき 木原康行
1932年北海道に生まれる。1954年武蔵野美術学校西洋画科を卒業。1966年から国内でグループ展に参加した後、1970年からパリのアトリエ17(1927年、版画家ヘイターによって開かれた版画工房。ここで多くの芸術家が銅版画制作を学んでいる。)で銅版画を学んだ。翌年ニューヨークの国際ミニアチュール版画展などに出品を始め、1972年には、ロンドンのブラッドフォード国際版画ビエンナーレ展、現代フランス版画展等に出品。以後も国際的な展覧会に出品を重ね活躍している。日本でも1980年、栃木県立美術館の「日本の版画」展に出品する。彼は腐蝕によらない、ビュラン(銅版画用の彫刻刀)の直彫りの線を自在に操り、精緻な線の構成によって、緊張感に満ちた凝縮された画面を生み出す。ビュラン版画の代表的な作家の一人。
カテゴリー:作家
小林清親とは?【 作家名 】 江戸に生まれる。父は、幕府の本所蔵屋敷総頭取。父の没後、幕府の勘定下役として京都、大阪に滞在し、鳥羽伏見の戦にも参加。維新後は、明治7年(1874)、静岡から上京して画業に専念。ワーグマンにも学んだといわれる。明治9年(1876)、水彩画の学習によって得た遠近法や陰影法を用いて、東京の新名所を木版画で表し、次々と発表。光と陰の表現から、「光線画」として人気を集めた。明治14年(1881)頃から、光線画の制作をやめ、「団団珍聞」に風刺画を描き、また、「東京日日新聞」「報知新聞」などに挿絵を描いた。日清戦争時には錦絵で戦争画を制作。その後、錦絵の衰退に伴い、肉筆画を描くことが増えていった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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