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さとう ちゅうりょう 佐藤忠良
1912年宮城県黒川郡に生まれる。1939年東京美術学校彫刻科を卒業する。1954年第1回現代日本美術展で「はだか」が佳作賞を受賞。1960年第3回高村光太郎賞受賞。1974年第15回毎日芸術賞受賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。1975年長野市野外彫刻賞受賞、第6回中原悌二郎賞受賞。1981年パリ・国立ロダン美術館で個展を開催。フランス、アカデミー・デ・ボザール客員会員となる。1988年国内10館を巡回の回顧展開催。佐藤は女性像にその力量をあざやかに示す作家である。日本の若い女性の肉体の表現にみなぎるみずみずしさ、躍動感は知的な構成への意志に裏打ちされている。時代とともにある、生き生きとした庶民の情感を盛り込んだ飾らない表現はさわやかである。1952年の「群馬の人」に始まった頭像の連作から、その作風は一貫している。近年は女性の裸体にジーンズやシャツ、帽子などを組み合わせた現代的な味を加えている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ミロとは?【 作家名 】 1893年スペインに生まれる。1983年没する。1912−15年フランセスク・ダ・ガリ・ファブラに学ぶ。特に、目を閉じて対象に触れてデッサンをすることを学ぶ。1918年ダルマウ画廊で初の個展を開催。1920年パリへ最初の旅行を行う。1924年アンドレ・ブルトンらと知り合い、シュルレアリスム運動に参加。1925年「シュルレアリスムの絵画」展(ピエール画廊)に出品。1929年ピラール・ジュンコサと結婚。1930年ピエール画廊で個展、また、ニューヨークのヴァランタイン画廊でアメリカで初の個展を開催。1932年バルセロナに居を定める。同年、ニューヨークのピエール・マティス画廊で初の個展を開催。1936年スペイン内乱勃発のためパリに留まる。1937年パリ万博スペイン館のために〈刈り入れ人〉を制作。1940年マヨルカ島パルマに移る。1941年〈星座〉の連作を完成。1944年最初のブロンズ彫刻を制作。1970年大阪万博のための壁画を制作。1976年ミロ財団が公式に開館。パルマ・デ・マヨリカで死去。 |
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