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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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ふなこし やすたけ

舟越保武

1912年岩手県に生まれる。2002年没する。1934年東京美術学校彫刻科卒業。新制作協会彫刻部創立に参加し、会員となる。1941年松本竣介と二人展開催、62年長崎26殉教者記念像完成、同年第5回高村光太郎大賞受賞。1967年東京芸術大学教授となる。1972年第3回中原悌二郎賞受賞、73年ローマ法王より大聖グレゴリオ騎士団長賞受賞、78年芸術選奨文部大臣賞受賞。1980年東京芸術大学を退官、翌年多摩美術大学教授となる。1983年「巨岩と花びら」で日本エッセイストクラブ賞受賞。1988年舟越保武展開催(札幌芸術の森野外美術館他)。副題を「切支丹武士の最期」と名付けられた「原の城」は、天草の乱でキリシタンと農民3万7千人が一人残らず全滅した原の城跡を訪れた時に着想した。うつろな表情をした武士が、上半身をやや前屈みして立ち尽くしている姿は、クリスチャンとしての舟越の宗教的な情感の表出にほかならない。古典主義を基調とする、端正で静謐な表現を通して、精神の高みを提示する舟越は本質的には宗教的な作家であり、「原の城」はそれをよく示している代表作のひとつである。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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石川光明とは?【 作家名 】

1852年東京浅草に宮大工の子として生まれる。父より家業の木彫を教えこまれるとともに、狩野素川から日本画を学び、また牙彫の技法も菊川正光に師事して習得した。1881年第2回内国勧業博覧会で牙彫「魚籃観音」が妙技二等賞を受賞。1887年皇居造営のさい、室内装飾を担当、90年には高村光雲とともに帝室技芸員となる。この年より東京美術学校で木彫の指導をするようになり、1891年には同校の教授となる。後には牙彫の指導もすることになり、木彫、牙彫いずれにおいても優雅な表現をものして、当時の第一人者となった。薄彫りの繊細な表現に長け、細部にわたってもその細密な表現は鈍らず、小品においても優れたものを残している。1893年シカゴ万国博覧会で木彫浮彫「白衣観音」が優等賞受賞。1895年第4回内国勧業博覧会で「軍鶏」が妙技二等賞受賞。1900年パリ万国博覧会で牙彫「鷹狩置物」が金賞を受賞。1913年死去。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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