![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
もーどうぃーん 1914-15 「モード ウィーン 1914〜15」
ウィーン工房の有名ファッションデザイナーのオリジナル版画(ほとんど彩色)を収録したポートフォリオ3冊、ほとんど木版画、一部水彩加筆、和紙。4巻〜6巻(4巻:4、10欠 5巻:6欠 6巻:8欠)有名ファッションデザイナーの木版画。ダゴベルト・ペッヒェ、アーノルト・ネヒャンスキー、エドゥアルト・ヨーゼフ・ヴィンマー=ヴィスグリル、オスカー・シュトゥルナート、イレーネ・シャシュル、マリア・リカルツ、フリッツィ・レーヴ、ロッテ・カルム、フェリーチェ・リックス、マティルデ・フレーグル)他のオリジナル木版画。
カテゴリー:作品
下村観山とは?【 作家名 】 現在の和歌山市に生まれる。一家をあげて上京。はじめ藤島常興に狩野派の手ほどきを受けた後、狩野芳崖、橋本雅邦に学ぶ。東洋絵画共進会、鑑画会に出品し、明治22年(1889)東京美術学校に一期生として入学。卒業と同時に、助教授となる。美術学校騒動では、岡倉天心とともに辞任し、日本美術院創立に参加。正員となる。明治34年(1901)美術学校に教授として復職。2年間、文部省留学生として、イギリスで水彩画の研究などを行った。美術院の五浦移転に従い、美術学校を辞職。大正3年(1914)には、横山大観とともに日本美術院を再興し、以後、院展を中心に活躍した。帝室技芸員、フランス・サロン準会員をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||