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もーどうぃーん 1914-15 「モード ウィーン 1914〜15」
ウィーン工房の有名ファッションデザイナーのオリジナル版画(ほとんど彩色)を収録したポートフォリオ3冊、ほとんど木版画、一部水彩加筆、和紙。4巻〜6巻(4巻:4、10欠 5巻:6欠 6巻:8欠)有名ファッションデザイナーの木版画。ダゴベルト・ペッヒェ、アーノルト・ネヒャンスキー、エドゥアルト・ヨーゼフ・ヴィンマー=ヴィスグリル、オスカー・シュトゥルナート、イレーネ・シャシュル、マリア・リカルツ、フリッツィ・レーヴ、ロッテ・カルム、フェリーチェ・リックス、マティルデ・フレーグル)他のオリジナル木版画。
カテゴリー:作品
藤田嗣治とは?【 作家名 】 1886年東京都に生まれる。1968年没する。(スイス、チューリヒ)。1910年東京美術学校西洋画科を卒業する。1913年フランスに渡り、ピカソやモディリアーニらと交友する。乳白色のなめらかな絵膚に線描する独自の画風を創り出し、1919年サロン・ドトンヌの会員、2年後に審査員に推挙されるなど、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。1929年一時帰国したあと、1930年から33年にかけてパリを足場に中南米各地で制作、39年から40年にかけて再度フランスに渡る。その間1934年二科会会員、41年帝国芸術院会員となり、43年朝日文化賞を受賞する。戦後は1949年アメリカを経てフランスに渡り、55年フランスに帰化、57年レジオン・ドヌール勲章を受賞、59年ベルギー王立アカデミー会員となる。1959年カトリックの洗礼をうけてレオナルド・フジタと改名、晩年はフランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭する。(「ピカソと日本」図録 1990年) |
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