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おーすとりあのつきづきのえ 「オーストリアの月々の絵」 作家名:資料(ウィーンの夢と憧れ−世紀末のグラフィック・アート) 多色石版画26点、オリジナルクロス装カバー。刷りはオーストリア・ハンガリー帝国印刷局、1897年作品は前期ウィーン・ユーゲントシュティルの好例。ハインリッヒ・レフラー/ヨーゼフ・ウルバンのカバーと多色石版画。アルタリア刊(ウィーン)。制作年:1900年 技 法:本
カテゴリー:作品
五姓田義松とは?【 作家名 】 1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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