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きんだいじゅうたくとそのぞうさく 「近代住宅とその造作」 作家名:資料(ウィーンの夢と憧れ−世紀末のグラフィック・アート) ヨーゼフ・アウグスト・ルックス著。クロス装、ウィーン分離派のインテリアデザインに関する本として希少、マックス・ベニルシュケ、レオポルト・バウアー、ゲオルク・ヴィンクラー、アドルフ・ベーム、ヨーゼフ・ホフマン、フランツ・エクスラー他の作品の写真173点およびカラー図版8点収録。マックス・ベニルシュケの彩色オリジナルカバーデザイン。ヴィーナー出版(ウィーン/ライプツィッヒ)。制作年:1905年 技 法:本
カテゴリー:作品
構成主義とは?【 美術用語 】 ロシア革命前から1920年代にかけてソ連で展開された芸術運動。ウラジーミル・タトリンが1913年に始めた鉄板や木片によるレリーフを「構成」と呼んだのを発端とする。現実の素材による非再現的構成という造形理念は、ロドチェンコなど多くの共鳴者を得て、構成主義という運動に発展し、モスクワの前衛美術界を、マレーヴィチの提唱したシュプレマティズム(絶対主義)と二分した。革命後は、革命政府の美術政策の推進勢力となり、絵画、彫刻をブルジョワ芸術として否定するとともに、鉄・ガラスなどの工業生産物の使用と社会的効用性を主張し、建築・デザイン・舞台美術などの分野にも拡がり、1920年には造形芸術の各分野をほとんど支配した。運動としては1919年頃から効用派と純粋造形派とに分裂し、純粋造形派のペヴスナー、ガボらは運動を離れ、効用派もその後産業との一体化を推進したが1930年代に政府より批判され終結したが、国外の抽象芸術運動に与えた影響は大きい。タトリンの「第3インターナショナル記念塔(模型)」はその代表的作品。 |
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