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やまもと まさみち 山本正道
1941年京都府に生まれる。1965年東京芸術大学彫刻科卒業、67年同大学院修了、新制作協会展で新作家賞受賞。1968年新制作協会展で協会賞受賞。同年より1971年までイタリア政府給費留学生としてローマ美術学校に留学し、ファッツィーニに師事。1973年新制作協会会員となる。1976年第5回平櫛田中賞受賞、77年第5回長野市野外彫刻賞受賞、78年第9回中原悌二郎賞優秀賞受賞。同年より1979年までフルブライト芸術部門交換研究員として渡米。1983年第10回現代日本彫刻展で京都国立近代美術館賞と神奈川県立近代美術館賞を受賞。1986年札幌芸術の森野外美術館に作品「こだま」設置。2005年紫綬褒賞受章。1970年代の中ころから風景彫刻ともいうべき作風でヒューマンな空間を表出している山本は、具象彫刻の新たな地平を切り開いてきた作家である。たとえば1975年制作の「追憶」。緩やかな起伏と広がりをもつ空間に配されたオリーブ。それを背景にして佇む少女とロバ。目の前に繰り広げられる小さな世界をふかんする者の眼差しは、いつしか少女自身の眼となり、オリーブの樹々を吹き抜ける風を感じることだろう。遠い日の懐かしき情景とでもいえよう。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
クリムトとは?【 作家名 】 1862年ウィーンに生まれる。1876年に奨学金を得てオーストリア芸術産業美術館付属の工芸学校に入学、7年間同校に学ぶ。1883年、弟エルンスト、同窓のF.マッチュと共に美術家協会を設立し、ブルク劇場やウィーン美術史美術館など多くの装飾画を手掛ける。この時期の作品はいまだアカデミックな画風で描かれており、ブルク劇場のフレスコ画の制作によって勲章を授けられたが、1897年にウィーン分離派を結成し、その初代会長となると、アール・ヌーヴォー様式を大幅に取り入れた独自の様式を成熟させていった。1903年にはウィーン工房の設立に協力し、翌年、ブリュッセルのストックレー邸の食堂のためにモザイクのフリーズを制作し始める。この間、ウィーン大学の壁画やマックス・クリンガー展のための《ベートーヴェン・フリーズ》が賛否の渦を巻き起こす。1905年分離派を脱退し、翌年オーストリア美術家連盟を結成、1908年の「クンストシャウ」に出品した《接吻》が国家買上げとなる。第9回ベネチア・ビエンナーレ(1910年)で「クリムトの部屋」が設けられたり、1911年のローマ国際美術展で最優秀賞を獲得したりするなど、ヨーロッパ美術界で重きをなしていった。1917年、ウィーンとミュンヒェンの造形芸術アカデミーがクリムトを名誉会員に迎る。1918年ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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