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なかだ さだのすけ 仲田定之助
1888年東京に生まれる。1922年ドイツに留学。滞欧中、バウハウスを訪れ、その紹介記事を日本の美術雑誌に書き送る。仲田は進歩的な批評家として知られるが、1924年の帰国後の一時期、三科、単位三科にオブジェや彫刻作品を発表するようになる。1925年三科展に出品、会員となり、26年中原実らと単位三科を結成し、彫塑作品を出品する。1928年画廊九段でクレー、カンディンスキーの作品を展示する。1970年「明治商売往来」でエッセイストクラブ賞受賞。死去。1924年作の「首」は残されている数少ない作品のひとつで、キュビスム、ダダ、バウハウスの活動などに海外で直に触れてきた作者らしく、人の顔に数字を配した実験的作品といえよう。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ルネサンスとは?【 美術用語 】 15〜16世紀のヨーロッパの美術史上の様式と時期区分。とくにイタリア美術史上でいう。「ルネサンス」という言葉は、もともと、ヴァザーリが著書『美術家列伝』(1550年初版)の中で初めて用いた美術の“復活”=イタリア語でリナシータに由来し、それが1840年頃にルネサンスとフランス語に訳され用いられている。ヴァザーリは、およそ13世紀後半以降のイタリアの美術家の中にローマ帝国とともに没落していた美術の復活を認め、時代区分としてルネサンスとしたが、これは同時に古代との間に中世の概念を設定したものであった。今日通説の画期としては、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋起工の1420年より1500年までを初期、1500年〜1520−30年を盛期としている。初期にはフィレンツェ、盛期にはローマが中心となっている。自然と古代とを柱とする人文主義的造形活動を特色とし、美術理論が追求され、また美術作品の世俗化も行われ、メディチ家などの地方君主による美術の流派が形成された時代である。 |
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