![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
きむら ひでき 木村秀樹
1948年京都府に生まれる。1974年京都市立芸術大学西洋画科専攻科を修了、同年第9回東京国際版画ビエンナーレ展で京都近代美術館賞を受賞する。1976年イギリス国際版画ビエンナーレ展で買上賞、クラコウ国際版画ビエンナーレ展で受賞、77年に第1回日本現代版画大賞展で版画芸術賞、78年に京都洋画版画総合展で大賞と、相次いで受賞する。以後も1980年に再びクラコウのビエンナーレ展で受賞、82年にビルバオ国際版画ビエンナーレ展で受賞、83年に毎日現代日本美術展で兵庫県立近代美術館賞を受賞するなど、国際的に高い評価を受けている。また国内外で個展、グループ展も多く開催している。写真製版によるシルクスクリーン技法を使って、必然的なつながりを持たない断片的な映像が浮遊する、といった平面作品で知られ、作者自身が「逆コラージュ」と呼ぶ観念的な表現を特徴としている。〈えんぴつ〉のシリーズ、〈水鳥〉のシリーズが有名。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作家
勝田蕉琴とは?【 作家名 】 1879年福島県に生まれる。本名良雄。はじめ会津若松の南画家野出蕉雨に学んだのち、1899年(明治32)上京、橋本雅邦に師事する。1902年に東京美術学校日本画選科に入学、1905年の卒業後、岡倉天心の推薦を受けて、タゴールの賓客としてインドに渡る。カルカッタ西北のシャンティニケトン学園で東洋画を教える一方、仏画の制作と仏教美術の研究をおこなった。1907年に帰国し、同年の第1回文展に初入選する。その後、国画玉成会にも参加する。1913年(大正2)の第7回文展で3等賞受賞、以後、官展を主な活躍の場とした。また1963年(昭和38)以降は、革新美術協会に出品した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||