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 作家(1701)

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よう かんじ

陽咸二

1898年東京に生まれる。1915年小倉右一郎に師事。1918年第12回文展に「老婆」が入選。1922年第4回帝展で「壮者」が特選受賞。1926年構造社に参加、29年会員となる。1935年新帝展無鑑査となる。東京で死去。初めは工芸を志し、牙彫を学ぶが、後に彫刻に転じる。24歳の時帝展で特選となり、将来を嘱望される。斉藤素巌が日名子(ひなこ)実三らと結成した構造社は、当時唯一の彫刻を主体とした団体で、陽はこの中で自由な制作態度を身につけた。様々な美術様式から影響を受けた彼は、寡作でありながらバラエティに富んだ作品を残したが、「ある休職将軍の顔」はキュビスムへの傾倒を示す作例である。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

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