![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
かさぎ すえお 笠置季男
1901年兵庫県姫路市に生まれる。1922年川端画学校に学ぶ。1928年東京美術学校彫刻科を卒業し、藤川勇造に師事する。1929年第16回二科展で「裸婦」が樗牛賞受賞。1931年第18回二科展で二科賞受賞、36年二科会会員となる。1965年第50回二科会で青児賞受賞。1967年死去。笠置は東京美術学校を卒業して後、二科展で活躍し、二科会の有力なメンバーの一人となった。同期には堀内正和がいる。ザッキンやアーキペンコらのキュビスム彫刻に影響を受けた、ボリュームのあるフォルムと具象表現にも通じる造形要素への興味から生まれた作品は、笠置の戦後抽象彫刻の先駆としての位置を確かなものにしたといってよい。そぎ取ることにより生み出される量感の表現に優れている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ジャポニスムとは?【 美術用語 】 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本の美術工芸品が、西洋の美術、工芸、装飾などの幅広い分野に影響を与えた現象。および西洋の美術家たちが日本美術の特質を創造的に活かしていこうとする態度。19世紀後半、開国を機に西洋との交流が深まり、日本から陶磁器や漆器、各種の調度品、浮世絵などの美術工芸品が、大量に西洋に伝わっていった。また、ヨーロッパ各地で開かれた万国博覧会を通じて日本の文化は欧米の人々の間で関心を呼び、一種の日本ブームが到来する。日本の美術工芸品に見られる独特の色彩や構図、平面性、装飾性、あるいは自然や身の回りの光景から生まれたモチーフは、印象派、ナビ派、アール・ヌーヴォー などの美術やデザインの分野に多大な影響を与えた。さらにこの日本好みの風潮は、服飾や日常的な生活様式にいたるまで広がった。この現象には、斬新さへの驚きと少なからぬ好奇の目を持って、日本的な図像や雰囲気を取り入れた異国趣味的な側面も強く見られ、ジャポネズリー(日本趣味)と呼ばれることも多い。これは、18世紀の中国ブーム、シノワズリー(中国趣味)を思い起こさせる。しかし、近年では様々な研究がすすみ、日本美術の持つ造形性、技法、主題、モチーフ等の独自性や、日本の生活様式、世界観に深く触発された現象としてジャポニスムと呼ぶことが定着してきている。 |
||