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こんの ひさし 昆野恒
1915年宮城県に生まれる。1939年東京美術学校彫刻科卒業。1953年抽象と幻想展に出品。1955年第3回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品。1965年第1回現代日本彫刻展に招待出品。1985年死去。1953年に昆野が作品を発表した「抽象と幻想」展は、戦前より連綿と続く抽象への傾向を紹介したもので、昆野自身も、もちろん戦前より志向していた抽象傾向にある作品を華々しく出品した。昆野は最初、アルプやムーアをよく研究し、その影響の色濃い作品を作っていたが、次第に自分のものとしてこなし、素直なあたたかい抽象でその足跡を彫刻史上に残した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ブーシェとは?【 作家名 】 18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。20歳でアカデミーの大賞を獲得。その後イタリアに遊学。ここでベネチアの絵画に深い感銘を受ける。帰国後、アカデミー会員となる。後に会長に就任し、ヴェルサイユにおいては、ルイ15世の主席宮廷画家となって、ポンパドゥール夫人の絵画教師もつとめた。彼の芸術活動は実に幅広く、ヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけた。絵画においては永遠の女性ヴィーナス礼賛こそ彼の一生を賭けたモチーフであった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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