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むかい りょうきち 向井良吉
1918年京都市に生まれる。1935年東京美術学校彫刻科に入学、41年卒業。1940年第5回新制作派協会展に「臥せるトルソ」を出品、51年第6回行動美術展に「航海」を出品、会員となる。1957年第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品、59年の第5回展にも出品。1962年第31回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。1976年第4回長野市野外彫刻賞受賞。1981年前年開催の個展に対して第31回芸術選奨文部大臣賞受賞。1983年第3回ヘンリー・ムーア大賞展で優秀賞受賞、84年第15回中原悌二郎賞受賞。木、ブロンズ、真鍮、アルミニウム、石膏など様々な素材を用いた作品を制作しているが、1985年に開発したパラフィン系の蝋型鋳造によって、「蟻の城」に代表される繊細な造形を展開している。1961年に落成した東京文化会館の内部装飾を手掛けた他、新宿紀伊國屋ホールの壁画制作にもたずさわり、空間デザインの分野でも活躍をしている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ゲラールとは?【 作家名 】 画家、版画家、挿絵画家、装飾デザイナーとして活躍したゲラールは、1860年代、マネやフェリックス・ビュオ、フィリップス・ビュルティらの親しい友人であった。初期にはエッチングによる複製版画で生計を立て、装飾デザイナー、あるいは扇製作者としても働いた。1883年には、ルイ・ゴンスに協力して、『日本美術』に日本の美術品を描いた200点余りものエッチングの挿絵を入れている。オーギュスト・ルペールと付き合うようになり、おそらくエミール・ベルナールにも刺激されたのであろう。1880年には木版画を手がけ、1880年代後半、多色刷エッチングの技法の発展に尽力した。フィリップ・ビュルティとフェリックス・ブラックモンと共にデュラン=リュエル画廊で画家=版画家年次展覧会を設立し、1890年、フランス画家=版画協会をフェリックス・ブラックモンと共に創設した。1897年、ロジェ・マルクスはゲラールのことを「パリの日本人」と評している。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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