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さどこうしゃくのさくひん ぎよーむ・あぽりねーるへん 『サド侯爵の作品』 ギヨーム・アポリネール編
マン・レイの蔵書で、1946年にロサンジェルスで彼自身が特別の装幀をほどこしたもの。背に「サド-アポリネール」とある。巻頭にはマン・レイの油彩『D.A.F.・ド・サドの架空の肖像』(1940)の写真を貼りつけ、その下に「彼の生誕200年に」(サド侯爵は1740年に生まれた)と書いてある。(「マン・レイ展」図録 2004年)
カテゴリー:作品
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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