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さどこうしゃくのさくひん ぎよーむ・あぽりねーるへん 『サド侯爵の作品』 ギヨーム・アポリネール編
マン・レイの蔵書で、1946年にロサンジェルスで彼自身が特別の装幀をほどこしたもの。背に「サド-アポリネール」とある。巻頭にはマン・レイの油彩『D.A.F.・ド・サドの架空の肖像』(1940)の写真を貼りつけ、その下に「彼の生誕200年に」(サド侯爵は1740年に生まれた)と書いてある。(「マン・レイ展」図録 2004年)
カテゴリー:作品
川端玉章とは?【 作家名 】 京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一、五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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