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もうり ぶしろう 毛利武士郎
1923年東京に生まれる。2004年没。1943年東京美術学校彫刻科卒業。1952年籾山七重と二人展開催(タケミヤ画廊)。1954年第6回読売アンデパンダン展に「シーラカンス」を出品。1955年今日の新人・1955年展(神奈川県立近代美術館)に出品。1958年集団58野外彫刻展(神奈川県立近代美術館)に出品。1959年第5回サンパウロ・ビエンナーレに出品。1963年世界近代彫刻日本シンポジウムに参加。1983年「現代日本美術の展望−立体造形」(富山県立近代美術館)に出品。戦争体験を経て、戦前の写実的彫刻からヘンリー・ムーア的人物像へと変化する。1954年のアンデパンダン展に発表した、石膏によるオブジェ的作品「シーラカンス」により一躍注目を浴びる。その後は「作品」に見られるように凹凸が作り出す緊張感に満ちた造形へと進んだ。1960年代から作品の発表が途絶えたが、「現代日本美術の展望」展(1983年)で久々に新作を発表した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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