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もうり ぶしろう 毛利武士郎
1923年東京に生まれる。2004年没。1943年東京美術学校彫刻科卒業。1952年籾山七重と二人展開催(タケミヤ画廊)。1954年第6回読売アンデパンダン展に「シーラカンス」を出品。1955年今日の新人・1955年展(神奈川県立近代美術館)に出品。1958年集団58野外彫刻展(神奈川県立近代美術館)に出品。1959年第5回サンパウロ・ビエンナーレに出品。1963年世界近代彫刻日本シンポジウムに参加。1983年「現代日本美術の展望−立体造形」(富山県立近代美術館)に出品。戦争体験を経て、戦前の写実的彫刻からヘンリー・ムーア的人物像へと変化する。1954年のアンデパンダン展に発表した、石膏によるオブジェ的作品「シーラカンス」により一躍注目を浴びる。その後は「作品」に見られるように凹凸が作り出す緊張感に満ちた造形へと進んだ。1960年代から作品の発表が途絶えたが、「現代日本美術の展望」展(1983年)で久々に新作を発表した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
平福百穂とは?【 作家名 】 1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子、小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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