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とよふく とものり 豊福知徳
1925年福岡県久留米市に生まれる。1946年富永朝堂に師事。1957年新制作協会会員となる。1959年「漂流58」で、第2回高村光太郎賞受賞。1960年第30回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。以後ミラノに定住し、各地で個展を開催。1964年カーネギー国際美術展でウィリアム・フリュー記念賞受賞。1967年国際彫刻コンペティションで第2等賞受賞。1975年アントワープ国際野外彫刻ビエンナーレ展出品(ミデルハイム美術館)。1978年個展開催(北九州市立美術館)。1983年第9回吉田五十八賞受賞。郷里で木彫家の富永朝堂に師事し、伝統的な木彫技法を習得した後、上京し、主に新制作協会展において活躍する。1960年のヴェネツィア・ビエンナーレへの出品を機にイタリアへ移住するが、それ以後具象彫刻から抽象的な作品へと作風が展開していく。「構造’67」もフォンタナやカポグロッシなどの造形理論に影響を受けながらも、日本の伝統的な木彫を学んだ豊福の技の冴えがいかんなく発揮され、特異な空間感覚が示されている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
イヴ・クラインとは?【 作家名 】 1928年フランスに生まれる。1962年没する。1944−46年ニースの国立商船学校、国立東洋学校に学ぶ。また柔道を学び始める。1947年「モノトーン」の構想を得て手や足によるプリントを試みる。1952年来日、1年間滞在し、講道館で四段を得る。1954年から、モノクローム絵画の画集、風船による〈気体彫刻〉や〈スポンジ彫刻〉〈1分間の火の絵画〉などを次々と発表、1958年には画廊内部を空っぽにして白く塗った「空虚」展などを発表し、話題をまく。フランスでネオ・ダダやポップアートに相当する活動を展開したヌーヴォー・レアリスムのグループ結成式を、1960年自宅で行う。自ら「インターナショナル・クラインズ・ブルー」と名付けた、青一色のモノクロームの画面や、金箔・火・水・空気など、ギリシヤ哲学に見られる元素に発想を求めた造形、あるいは人体に絵具を塗って画面にプリントを試みるなど、彼の活動は、芸術そのものの意味を問い掛けている。デュシャンと並んで20世紀美術の最も本質的な問題に関わった作家。 |
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