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あさんぶらーじゅ アサンブラージュ
英語では、アッセンブリッジとよばれる。語義は「物の集まり」で、一つの美術作品をつくるにあたって、様々なものを寄せ集めてくることから名付けられた。1950年代にコラージュを基にして、デュビュッフェがリトグラフに試みてから、1960年代にピエール・レスタニーが提唱したヌーヴォー・レアリスムの大きな流れの中で、アサンブラージュは一般にも、よく知られるようになった。1961年には「アサンブラージュ展」がニューヨークで開かれている。社会のあらゆる場面でつくり出されたものを集合させ、当時の社会への語りかけを、マチエールの提示によって成し遂げている。アルマンは、工場で大量に生産される製品をガラスケースに押し込んだし、セザールは工場の廃品を寄せ集めて、それらを圧縮して作品を生み出した。
カテゴリー:美術用語
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川端玉章とは?【 作家名 】 京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一、五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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