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あぶすとらくしょん くれあしょん アブストラクション・クレアション
フランス語で「抽象・創造」を意味する美術グループ。1930年にパリで最初の国際抽象美術展が開かれたのをうけて、翌1931年2月、抽象ないし非具象の画家、彫刻家たちによってパリで結成された。このグループの狙いは非具象の一般に幾何学的といわれる要素から構成された抽象、「創造的抽象」を鼓舞することにあり、グループ展を組織するほか、機関誌『Abstraction−Creation, Art non−figuratif(抽象=創造、非具象芸術)』を刊行した。このグループはあらゆる国の芸術家に門戸を開き、緩やかな組織だったため一時は400人の会員を擁した。アントワーヌ・ペヴスナー、ガボ、カンディンスキー、モンドリアン、ドローネ夫妻、モホリ=ナギ、ベン・ニコルソン、ブランクーシ、岡本太郎などが参加。厳密な非具象の追求においても、国際的な拡がりにおいても重要な意味をもつ運動だったが、第二次世界大戦のため自然解散した。
カテゴリー:美術用語
河合新蔵とは?【 作家名 】 大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、満谷国四郎、丸山晩霞、鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリではアカデミー・コラロッシュに入ってラファエル・コランに師事。またアカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。大下藤次郎の水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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