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アペル



阿房宮図



アマタシャ



雨田光平



網打つ人 - II



編革ひもシートのインスブルック・ローデルそり



編物をする羊飼いの女(羊飼いの女、大)



アムステルダム国立博物館1







雨のために



アメリカセイ



アメリカの風景



荒井寛方



洗い髪



荒川修作



荒木寛畝



荒木十畝



荒木高子



荒木珠奈






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 作家(1701)

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あづま けんじろう

吾妻兼治郎

1926年山形県に生まれる。1954年東京芸術大学彫刻科を卒業、56年イタリア政府給費留学生として渡伊し、国立ブレラ美術学校でマリノ・マリーニに師事、60年その助手となるが、やがて具象から抽象彫刻に作風が転じていく。1963年第5回国際彫刻コンクール(パドヴァ)で2等賞受賞、国際彫刻コンクール選抜展(スイス)でエミール・ゴダール賞受賞。1964年「MU−99」で第7回高村光太郎賞受賞。国際彫刻コンクール(モンツァ)で2等賞受賞、68年第3回彫刻コンクール(イタリア)で外国人作家賞受賞、69年第19回国際彫刻ビエンナーレ(フィレンツェ)で金賞受賞。1975年毎日芸術賞受賞。1985年〈YU〉のシリーズの制作開始。1988年吾妻兼治郎展開催(宮城県美術館他)。MUのシリーズはその作品数が既に1000を越えている。MUはいわゆる無に通じ、溝は穴を穿たれたその幾何学的なフォルムに東洋的な無常感を潜ませている。また1985年からはMU〈無〉の延長としてYU〈有〉のシリーズを発表し、新たな作風の展開をみせている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)2001年勲四等旭日小綬章を受章。


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吉田博とは?【 作家名 】

福岡県に生まれる。1887年に中学修猷館に入学。1893年京都に上り、田村宗立に師事。翌年上京して小山正太郎の不同舎に入り、のち明治美術会に加わる。1899年渡米。デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」を開き、翌年パリ万国博覧会に出品して褒状を受ける。1901年帰国。翌年太平洋画会の創立に参加し、1903年には再渡米。第1回文展で3等賞、第2回文展、第3回文展でそれぞれ2等賞を受賞。第4回以後しばしば審査会をつとめる。1947年太平洋画会会長となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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