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悪の泉−『エスタンプ・オリジナル』誌第6号より



『悪の華』のために版刻された14図



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あづま けんじろう

吾妻兼治郎

1926年山形県に生まれる。1954年東京芸術大学彫刻科を卒業、56年イタリア政府給費留学生として渡伊し、国立ブレラ美術学校でマリノ・マリーニに師事、60年その助手となるが、やがて具象から抽象彫刻に作風が転じていく。1963年第5回国際彫刻コンクール(パドヴァ)で2等賞受賞、国際彫刻コンクール選抜展(スイス)でエミール・ゴダール賞受賞。1964年「MU−99」で第7回高村光太郎賞受賞。国際彫刻コンクール(モンツァ)で2等賞受賞、68年第3回彫刻コンクール(イタリア)で外国人作家賞受賞、69年第19回国際彫刻ビエンナーレ(フィレンツェ)で金賞受賞。1975年毎日芸術賞受賞。1985年〈YU〉のシリーズの制作開始。1988年吾妻兼治郎展開催(宮城県美術館他)。MUのシリーズはその作品数が既に1000を越えている。MUはいわゆる無に通じ、溝は穴を穿たれたその幾何学的なフォルムに東洋的な無常感を潜ませている。また1985年からはMU〈無〉の延長としてYU〈有〉のシリーズを発表し、新たな作風の展開をみせている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)2001年勲四等旭日小綬章を受章。


カテゴリー:作家
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石川光明とは?【 作家名 】

1852年東京浅草に宮大工の子として生まれる。父より家業の木彫を教えこまれるとともに、狩野素川から日本画を学び、また牙彫の技法も菊川正光に師事して習得した。1881年第2回内国勧業博覧会で牙彫「魚籃観音」が妙技二等賞を受賞。1887年皇居造営のさい、室内装飾を担当、90年には高村光雲とともに帝室技芸員となる。この年より東京美術学校で木彫の指導をするようになり、1891年には同校の教授となる。後には牙彫の指導もすることになり、木彫、牙彫いずれにおいても優雅な表現をものして、当時の第一人者となった。薄彫りの繊細な表現に長け、細部にわたってもその細密な表現は鈍らず、小品においても優れたものを残している。1893年シカゴ万国博覧会で木彫浮彫「白衣観音」が優等賞受賞。1895年第4回内国勧業博覧会で「軍鶏」が妙技二等賞受賞。1900年パリ万国博覧会で牙彫「鷹狩置物」が金賞を受賞。1913年死去。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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