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あんてぃみすむ アンティミスム
親愛とか親密とかを意味するフランス語の形容詞アンティーム(intime)から派生した語。特別の主義や流派をさす言葉でなく、身近のありふれた生活や家庭内の情景、母子像などに取材し、親しみやすい感情の込められた絵をアンティミスムと呼び、そうした傾向の画家をアンティミストという。初期フランドル派の絵画にも見出せるが、ナビ派に属していたボナールやヴュイヤールが代表的である。
カテゴリー:美術用語
石川欽一郎とは?【 作家名 】 1871年静岡県に生まれる。その後東京に移り、1888年逓信省東京電信学校に学ぶ。1889年大蔵省印刷局に入り、1891年に明治美術会に入会。浅井忠、川村清雄などに指導を受け、明治美術会解散後巴会に加わる。1905年に大下藤次郎を知り、『みづゑ』にアルフレッド・イーストの翻訳を掲載。1913年、日本水彩画会の創立に参加。1922年渡欧。1924年台湾に渡る。台北師範学校嘱託となり、台湾水彩画会を創立。台湾美術展の審査員などをつとめる。1932年帰国。その後日本水彩画会顧問となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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